
伝言板
2026.06.15 - 2026.06.28 karuking 軽木さち子 伝言板 新宿駅近辺にあった伝言板の写真を展示します。 今回は、1986年~1995年頃に撮影した JR新宿駅東口、西口小田急線側通路、地下鉄丸の内線・新宿駅(西口、東口)に設置されていた伝言板の写真を中心に、 新宿駅近辺、丸の内線・新宿三丁目駅、中野坂上駅、JR中野駅、JR原宿駅、JR恵比寿駅などにあった伝言板の写真も展示する予定です。 美術短大の学生だった時、 今和次郎著「考現学」を教材にした授業があり、各自テーマを決め、街の中で調査し後日発表しました。 私は駅伝言板をテーマに選び、最寄り駅とし利用していた吉祥寺駅の伝言板を調査しました。 伝言板の前に立ち、書かれている文字をメモ、模写のように字体をまねて書き写し、後日書かれている内容を分類、集計しました。 待ち合わせ (会えなかった切実なもの、先に行く、待ち合わせ場所を書いたもの、集会の案内)、友達どうしの書き込み、ひとりごと・詩のようなもの、悪口、バカ、などに分類し集計、発表しました。 バカは、調査中2回に1回は登場しました。 学校の授業で私の発表はウケませんでした。 調査内容、分類や発表の仕方が弱いこともありますが、伝言板はすでに当たり前のように存在し、古い、時代遅れ、おしゃれではない、もうすぐ終わるもの、興味をもたれないものでした。 別の授業で、自分で撮った写真を使い写真集を手作りしたり、4人グループで編集し1冊の豆本を作ったりもしました。 中古のマニュアル一眼レフカメラを購入し、白黒フィルムで撮影、学校の暗室でプリントし、貼り合わせ写真集を作りました。カメラの扱い方は、母のお兄さんに教えてもらいました。それはとてもわかりやすく、魔法の小箱を手にしそれを覗いた私は調子づきました。 基本、絞りF5.6、シャッタースピード1/125秒、小窓の右側に見える針を合わせ、シャッタースピードや絞りのダイヤルをまわし調整し撮影しました。学校の暗室の他、知り合いの暗室をお借りし、赤いランプの部屋で呪文をとなえるように像を焼きつけ、天ぷらを揚げる時のように、調子をみながら仕上げ、乾燥させ、何パターンも仕上げていきました。 カメラは毎日のように持ち歩き、ファインダーをのぞきシャッターボタンに指をかけ撮ったつもりになり我慢、節約し、喫茶店に行くことを優先させたりしながら、お小遣いをやりくりし、1日に数カットだけ撮影しました。 その後社会人になり、いくつかの職場で働き、新宿駅経由で通勤するようにもなり、15年位新宿駅経由の通勤定期券を使用していました。 新しく買ったカメラは撮影するのが楽で、日常的にカメラを持ち歩き、身近なものや街のなかで、写真を撮りました。 都内のいろいろな駅で伝言板を見かけました。その中でも新宿駅にある伝言板は特に書き込みも多く、文字が溢れていました。 お金を気にせず、フィルムを湯水のように使い写真を撮ってみたいと、当時の私は写真の神様に願ったことがあったのを思い出しました。 そうして、駅伝言板の写真は、推定7000~10,000カット位撮影しました。 すぐに公表するのは差し控え、数年は寝かすことにし、ネガやプリントを保管していました。この数十年は、母が預かってくれていました。 年月が過ぎ、当時毎日のように伝言板に書き込みしていた高校生達も年齢が50代になり、私も年をとりました。 「どうして伝言板 写真に撮るの?」 「なんでそんなもの撮ってるの?(無駄)」と数多く言われました。 その頃の私は、「50年後の誰かが(その時は無くなっているだろう)伝言板の写真を見たら、きっと面白いと思うだろう。驚くかな」 私が今和次郎「考現学」のスケッチを目にした時、面白いと思ったように、伝言板の記録を新鮮な気持ちで面白いと思う人がいるはず。面白さが共有できるのではないかと考えていました。それは確信なのか妄想・ひとりよがりなのかわかりませんが、その誰かに見せるため、伝えるため、伝言板の記録・写真集を作りたい、残したいと思って写真を撮り続けていた。そういう気持ちだったことを思い出しました。 先人方に続き、私も1980年代1990年代を東京で暮らし、駅を利用し、通学・通勤し、買物・遊び、街に出て、人に会うため待ち合わせをしていました。その時代の人の営み、人の痕跡、手書き文字、ことばの変遷などを感じていただければと思います。 「伝言板」というものについて、次の時代の誰かにつないでいければ幸いです。 2026年6月